2015年6月25日(木) 【1995年6月24日】
個人的な気持ちで恐縮ですが、私のココロに響くものがあったのでシェアさせて頂きます。
今から20年前の今日、1995年6月24日は「ラグビーW杯南アフリカ大会」【決勝】の日でした。
それまでアパルトヘイト政策をとっていた南アフリカ共和国でしたが、民主化により初の黒人大統領ネルソン・マンデラ氏が就任。これにより、国際大会出場が出来なくなっていた南アフリカのW杯参戦が認められた初の大会となりました。
南アでは、白人のスポーツとして黒人から忌み嫌われていた「ラグビー」。しかしマディバ(マンデラ氏の愛称)は、白人と黒人が手をとりあう象徴として、敢えてこの「ラグビー」を選びました。
様々な紆余曲折を経て、ついに決勝まで勝ち上がった南アフリカに対する相手はジョナ・ロムーを筆頭に絶好調、優勝の大本命NZオールブラックス。
20年前のこの日、南アフリカ共和国はひとつになりました。
試合は延長にもつれこむ大熱戦。ついにジョエル・ストランスキーのDG(ドロップ・ゴール)がエリスパークのゴールポストの間を通り、主将フランソワ・ピナールはマディバの手からW杯優勝トロフィー「ウェブ・エリス・カップ」を手にしました。
読売新聞様の記事によると、7月31日の南アフリカのスーパーラグビーチーム”ブルー・ブルズ”遠征に伴い、南アフリカ共和国に関する様々なイベントが催されるようです。→ 読売新聞記事「ラグビー強豪 町田遠征」
マディバがつないでくれた町田とのご縁。マディバへの深い敬意と感謝を込めて。